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2014年7月3日木曜日

異なる次元を持つ物理量同士の乗除がよくて、加減がいけない理由

異なる次元を持つ物理量同士の掛け算や割り算はよくて、足し算や引き算がいけないのは、物理学を習った人なら誰もが知っているだろう。例えば長さ÷時間=速度だが、長さ+時間というのは意味を成さない。しかし、このルールは大概、直観的に正しいものとして提示されるだけで、その論拠が示されることは殆どない(少なくとも初等的な教育では)。長さ+時間が「意味を成さない」とは一体どういうことだろうか?

まず準備として、「単位」(unit)と「次元」(dimension)という二つの概念を区別しておきたい。例として、m、km、parsecなどはそれぞれ別の単位であり、これらはすべて同じ「長さ」という次元を持つ。次元が同じで単位が異なる二つの物理量は、スケールを変換する関係式を利用して単位を揃えることができる(例えば1km = 1000mという関係を利用すれば、1km+100mの単位を揃えて1100mと書くことができる)。

さて、「林檎と蜜柑の足し算」というシンプルな例から始める。「林檎」と「蜜柑」をそれぞれ別の次元の単位と見なし、それぞれの個数の合計を考える。異なる次元を持つ物理量同士の足し算はできないと思われるかもしれないが、何のことはない。「果物」という、「林檎+蜜柑」の次元を持つ新しい単位を導入して、数値同士を足した結果に付与すればいい。例えば1林檎+1蜜柑=2果物、という風に。この新しい単位は全く問題なく使えるし、現に我々は日常生活の中で使っている。この例を見れば、異なる次元を持つ物理量同士の加減を排除する理由はないように見える。確かに、アプリオリに排除する理由は全くないが、上の議論をあらゆる物理量に一般化できない理由がある。

上の林檎と蜜柑の例と全く同じように、

a [m] + b [s] = c [x] …… ①  (a、b、cは何らかの数値、mはメートル、sは秒)

と置いて、新しい単位xを導入する。このxがどのような単位であるかは分からないが、長さ+時間の次元を持つもの、という風に約束しておく。さて、c[x]で表される上の量を、b[s]のスケールをμsに変えて表すとすればどうなるか。このときb[s] = 106・b[μs]である。同様にa[m]もcmに変換する。すなわちa[m] = 100a[cm]である。スケール変換後の量c[x]をc'[x']と置く(x'はxと同じ次元を持つがxとは別の単位である)。すなわち

100a [cm] + 106・b [μs] = c' [x'] …… ②

これら二つの式を用いて、個々のケースにおいて、c[x]とc'[x']をそれぞれ求めることができる。例えばa = b = 1の場合、c = 2、c' = 102+106と求まる。[1] しかし、a、bが分からない状態で、cを直接c'に変換することはできない。時間と長さのスケールの変換の仕方によっては、写像f:c→c'を具体的に求めることができる場合もあるが(例えばa、bが一律に10倍であればcも10倍)、一般的には不可能である。a[m]、b[s]の値が分からないとc'[x']の値は求まらないわけだから、c'[x']は①式で定めたスケールに依存していることが見て取れる。

では乗除の場合はどうであろうか。

a [m] ・ b [s] = c [y] …… ③

という掛け算を考える(割り算の場合も同様)。 yは長さ・時間の次元を持つ単位である。上の足し算の場合と同じように、a[m]とb[s]のそれぞれのスケールをcm、μsに変換し、変換後の量c[y]をc'[y']と置く。すると

c' [y'] = 100a[cm] ・ 106・b [μs] = 108a・b [cm・μs] = 108c [cm・μs] …… ④

③④式より、c[y] (= c'[y']) = 108c[y'] という単位間の変換式が得られ、a、bの値が分からなくても、直接cをc'に、あるいはc'をcに変換できることが分かる(ここではc'=108c)。つまりc'[y']の値(およびc[y]の値)はスケールの取り方に依存していない。

以上まとめると、異なる次元を持つ物理量同士の加減の場合、新しい単位を導入して加減の結果を表すことは可能だが、この新しい単位における値は、最初のスケールの取り方に依存してしまい、そのスケールにおけるそれぞれの要素の値が分かっていないと、別のスケールにおける結果の値を求めることができない。対して乗除の場合、新しく導入された単位はスケールの取り方に依存せず、ある変換式によって異なるスケール間を簡単に往復できる。スケールの取り方に依存しない、というのは恣意性を排除する上で重要である。物理学の法則が、メートルや秒といった特定の単位の取り方に依存していてはまずい。F = maという関係は、どのような単位で測定しようが成り立たなければならない。物理学では、これを対象や法則のスケール不変性(scale invariance)という。そしてスケール不変性が成り立つためには、異なるスケール間を行き来できる変換式が存在しなければならないのだ。

なお、最初の林檎と蜜柑のケースでは、「果物」という新しい単位が、特定のスケールに依存しているが、これはさほど問題にならない。なぜなら、日常観察される離散的な個物の場合、1、2、3、という風に数える単位系が自然であり、あまり恣意性がないからである。


[1] 我々は異なる次元同士の加減に慣れていないので、この求め方は一見変に見えるかもしれないが、等式の両辺の次元が等しいことを念頭に置いて、a+b [m+s] = c [x]、という風に数値と単位を分けて考えれば良い。ただ単位を、通常の代数法則を満たし、数値と同等の身分を持つ記号として扱うならば、もちろんax+by = (a+b)(x+y)といったような関係は成り立たない。これを以て、異なる次元を持つ物理量同士の加減を禁止する論拠と見なすことも可能だろうが、ここでは約束として、単位を数値と同等の記号としては扱わない。というのも、単位を数値と同等の記号と見なすことを正当化するのは、以下において説明するスケール不変性の議論の結果であるように思われるからである。少なくとも、単位が数値と同等の記号と見なされるべきであることは、決して自明ではない。

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