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2018年8月27日月曜日

【読書ノート】 William Seager, Natural Fabrications: Science, Emergence and Consciousness

"The creation of the magnetic field of a bar of iron by spontaneous symmetry breaking is thus a case of emergence which is unpredictable in principle. Similarly, the ratio of the relative strength of the four forces and the masses of the force carrying particles may not be set by nature but emerge through a random process. No matter how much one knew about the symmetric phase, it would be impossible to predict these values" (p. 23)
→ 強磁性体をCurie温度以上に熱すると強磁性が失われるが,それを徐々に冷却していくと再び強磁性が回復する.磁性体は同時に,特定の(当初とは異なる)磁気モーメントの向きを得るが,この向きを決定する法則はなく,ランダムに決まる.これは自発的対称性の破れの一例.強磁性を回復する前は,磁気モーメントの向きに関してすべての空間方向が対称的だが,強磁性の回復によってこの対称性が自発的に(ランダムに)破れる.初期宇宙において,一つの統一的な力から四つの基本的な力が分れていったのも,同様の過程によると考えられている.いずれの場合においても,対称性が破れる前の状態において,破れた後の状態に関わるパラメータ(強磁性体の場合は磁気モーメントの向き,四つの力の分岐の場合は力の相対的な強さや媒介粒子の質量)は原理的に予測できない.したがってこれは創発(正確には下で触れる通時的創発)の例である.

"Picture then the state of the universe when approximately 1 s old. Is there anything missing from our cosmological picture? Considered from the standpoint of the recognized scientific disciplines, almost everything. There is no chemistry (organic or even inorganic), no biology, no psychology and no sociology. Is this surprising? From a purely physical point of view, not at all. Conditions of the universe at this time are, by Earthly standards, very extreme. The temperature was something like one billion degrees and it was quite impossible for atoms to form. The formation of stable atomic nuclei was just becoming possible as the temperature dropped below 1 billion. There was then a small window of opportunity where density and temperature permitted the synthesis of hydrogen and helium nuclei (as described above). Thus it is a natural fact that the only science which applies to the universe at the age of 1 s is physics. As we move back in time closer to the big bang itself, we encounter more exotic, eventually frankly speculative, physics, but it’s physics all the way back. However, as we pursue time away from the big bang towards the present, we obviously enter the domain of application of all the other sciences. Thus, for example, chemical and biological entities and processes (such as molecules, bonding, living organisms and natural selection) must be in some sense emergent phenomena. A little more precisely, any phenomenon which appears in a system which heretofore did not exhibit it can be labeled diachronically emergent. The cosmological tale as we now conceive it must be a tale of diachronic emergence" (p. 23)
→ ビッグバンから1秒後の宇宙には当然,生物学や社会学の研究対象となるようなものはなく,すべて物理学の研究対象となるものである.つまり初期宇宙に適用可能な科学は物理学だけである.そこから時間が経つにつれて,化学や生物学といった他の科学が研究するような対象が徐々に生まれてくる.これも通時的創発である.通時的創発と対比される創発の形態として,共時的創発(synchronic emergence)も考えられる.上で触れたような宇宙の発展は,通時的創発だけでなく共時的創発も示している.というのも,初期宇宙に存在していた対象は,生物学的な性質(例えば自然選択によって進化するといった性質)を持っていなかったと考えられるが,120億年後には,そのような性質を持った対象が存在することが知られているから.

"The weird behavior of some quantum systems called entanglement, in which two systems that have interacted maintain a mysterious kind of connection across any distance so that interaction with one will instantaneously affect the state of the other, might appear to contradict the adjacency requirement of cellular automata. But, again, it is far from clear that this is a real problem for digital physics and for the same reason. The spatial distance separating the ‘parts’ of an entangled system which makes entanglement seem ‘weird’ need not be reflected in the underlying workings of our hypothetical universal CA. In fact, could it be that the phenomenon of quantum entanglement is trying to tell us that what we call spatial separation is not necessarily a ‘real’ separation at the fundamental level of interaction?" (p. 70)

"When we burn books, it looks as though we are destroying information, but of course the information about the letters remains encoded in the correlations between the particles of smoke that remains; it’s just hard to read a book from its smoke. The smoke otherwise looks universal much like the thermal radiation of a black hole. But we know that if we look at the situation in detail, using the full many-body Schrödinger equation, the state of the electrons evolves unitarily" (Luboš Motl, "Hawking and Unitarity").

"Although both the weather and the Solar System are chaotic dynamic systems, the timescale on which chaos reveals itself in the latter case is so long that we can preserve the illusion that the Solar System is easily predictable. The same would be true of the weather if we wished to use our models to make predictions for the next five minutes (though of course it will take longer than five minutes to get any ‘predictions’ out of our weather models). Predictability is a relative notion: relative to the timescales natural to human observers, relative the natural timescales of chaos of the systems in which we are interested and relative to the time it takes for our models to generate their predictions" (p. 104)

自然の階層構造

自然が階層構造を成していることは自明であるという前提でSeagerは議論を進めている:"If anything about the structure of nature seems obvious and irrefutable it is that nature possesses a hierarchical structure within which ‘higher level’ entities have properties lacked by ‘lower level’ entities" (p. 65). しかしこれは決して自明ではない.実際,自然が階層構造を成していることを否定する論者もいる (James Ladyman & Don Ross, Every Thing Must Go).ここでは「自然が階層構造を成している」という描像がどの程度の妥当性を持つか考えてみる.

私たちが「階層」と呼んでいるのは現象のパターンであり,自然をどのように階層に切り分けるかは,どのパターンに注目するかという観測者の視点から切り離せないように思われる.ただ,四つの基本的な力の到達距離と強さの違いが,観測者の視点に依存しない自然な階層を作っているのは事実である.例えば強い力の到達距離は10 -15 [m] くらいなので,それよりも大きいスケールではその影響を無視できる.また重力に比べて電磁気力の方が圧倒的に強いが,大きい物体では電磁気力は打ち消し合う傾向にあるので,天体のスケールまで行くと重力の影響だけを考えることになる.このように,原子核のスケール,電磁気力支配のスケール,そして重力支配のスケールという三つの自然な階層を区別できる(ただし電磁気力支配から重力支配への移行は滑らかである).

しかし私たちはスケールだけで自然を階層に切り分けているわけではない.例えば生物個体や生物集団に固有のスケールは存在しない.私たちが生物個体の階層を階層として同定するのは,生物に特有の振る舞いのパターン(自己増殖,エネルギー変換,恒常性維持など)に注目することによってである.また生物個体の階層が決まれば,生物集団の階層がそれに相対的に決まる.一般に,自然の中のどのパターンに注目するかという観測者の視点から独立に自然の階層構造が厳然と決まっているわけではないと思われる.この点を念頭に置く限り,「下位」レベルからの「上位」レベルの創発を考えることに特に問題はないだろう.

Conservative and radical emergence

Seagerは(通時的・共時的創発の区別とは別に),下位レベルの法則によって上位レベルの性質をすべて「原理的に」記述できるかどうかによって,創発を"conservative emergence" (CE)と"radical emergence" (RE)の二種類に分けている.記述できるのがCEで,記述できないのがREである.問題は,この世界にREが存在するかどうかだが,SeagerはREの存在を否定し,CEだけが存在するという立場を取っている.そして究極的には,世界のすべての現象は「原理的には」基礎物理学の法則によって記述できるという(「原理的には」って便利の良い言葉だなと思う.原理的に記述できるかどうかって一体どうやって判定するんだ?)

しかし私はSeagerの立場に懐疑的で,「原理的にも」(それがどういう意味であれ)基礎物理学によって記述できないような現象があるのではないかと考えている(そもそもSeager自身が取り上げている上記の対称性の自発的破れはREの例ではないのか?).Seagerを含む分析系の哲学者には,上位レベルの現象のモデルは,下位レベルのモデルの単なる「圧縮」だと考えている人が多い印象がある.つまり彼らは,上位レベルのモデルが,予測にとって実際的には有用だったり不可欠だったりするとしても,下位レベルのモデルから情報の一部を削ぎ落としただけのものだと考えている.因果構造の情報論的な分析から,実はそうではないと論じる面白い研究がある:Erik P. Hoel (2017) "When the Map is Better Than the Territory”(テクニカルでない解説としては,同著者の"Agent Above, Atom Below: How Agents Causally Emerge from Their Underlying Microphysics"を参照).それぞれのレベルにおける現象のモデルの因果構造を情報伝送路に見立てると,誤り訂正符号が情報伝送を効率化するのと同じ原理で,上位レベルのモデルは下位レベルのモデルを効率化するらしい.その結果,上位レベルのモデルが下位レベルのモデルよりも大きな情報量を持ち得る.これはとりもなおさず,下位レベルのモデルでは見えないような因果構造が,上位レベルのモデルに現われているということである.これはもちろん,下位レベルの法則によって記述できないような性質が上位レベルにあるということなので,REに相当する.ここで思い出すのが,「考え深い読者よ,政治的党派心のバイアスのかかったオッカム的な先入観——思考においても,存在においても,発展過程においても,不確定なものは,完全な確定性という原初的状態からの退化に由来する,という先入観を取り払いなさい」というPeirceの言葉である.上位レベルのパターンが下位レベルのパターンの単なる「圧縮」だというのは,Peirceの言うところのオッカム的な先入観なのではないだろうか.

下方因果

自己組織化や創発の議論でよく話題になるのが,いわゆる「下方因果」(downward causation / top-down causation)である.しかし,Seagerの本に触発されて下方因果についての研究をいくつか読んでみたところ,用語の使い方が曖昧で,議論が酷く混乱している印象を受ける.Menno Hulswitが指摘するように("How Causal is Downward Causation?"),原因と結果それぞれの存在様式(一般的な法則なのか,個別的な出来事なのか,何らかの実体なのか)にほとんど注意が払われていないことが,混乱を生み出す要因の一つになっているように思われる.また「下方因果」というときの因果性が,作用因なのか,それとも形相因・目的因的なものなのか,判然としないことが多い.

下方因果の捉え方として有望だと思われるものが二つある.一つは,下方因果の「原因」に相当するのは,下位レベルの法則に付加される「境界条件」だというMichael Polanyiの理論である(例えばKnowing and Being: Essays by Michael Polanyi, pp. 233–34).例えばある言語で発話される文章をいくつかの階層に分けるとすると,最下位には音韻があり,次に語彙があり,その次に文法規則があり,その次に文章作成のスタイルがある,といった具合である.音韻は,与えられた言語で許される音の組み合わせを規定するが,でたらめに音を並べただけでは単語にならないので,さらにその言語の語彙を指定する必要がある.語彙は音韻の規則を破ることなく,許される音の組み合わせを制限する.同様に,でたらめに単語を繋ぎ合わせただけでは文にならないので,単語の組み合わせ方に制限を加える文法規則がさらに必要である.このように上位レベルの規則は,下位レベルの規則を破ることなくそれに対して制限を加える「境界条件」になっているというのがPolanyiの理論である.生命の階層と,物理的・化学的な法則によって支配される非生命的物質の階層の間にも同様の関係があると彼は言う.この理論では,下方因果の「原因」に相当するのは,下位レベルの法則に付加される一般的な法則だということになる.しかし,こうした境界条件がどのように生じるのかはあまり明らかでない.

もう一つの捉え方は,下方因果は形相因・目的因的なもので,「原因」に相当するのは一般的な法則だというもの.Peirceの立場がこれに該当すると思われる.例えばスポーツ観戦で熱狂する群衆を考えると,群衆の一人一人のメンバーの振る舞いは,群衆全体の雰囲気の影響を受けるが,この影響は,「一般的な法則ないし習慣が個々の出来事を,共通のパターンに従うように方向付ける」という意味で目的論的な影響である.このような影響が可能であるためには,(単なる無知の表れではないという意味で)客観的な偶然が必要である.というのも,もし各要素の振る舞いがすべて決定論的に決まっているとすれば,目的論的な法則がそれを「方向付ける」余地はなくなってしまうから.目的論的な法則は,そこからの逸脱の可能性があって初めて成立する.

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