2013年3月2日土曜日

アインシュタインの特殊相対性理論に至るまでの流れ

  • 1881年 Michelsonによる干渉計の実験
  • 1887年 MichelsonとMorleyによる、より精密な干渉計の実験
  • 1892年 Lorentzが論文「地球とエーテルの相対運動」("Die relative Bewegung der Erde und des Äthers")で収縮仮説を発表
  • 1895年 Lorentzが著書『運動物体における電気的・光学的現象の試論』(Versuch einer Theorie der elektrischen und optischen Erscheinungen in bewegten Körpern)で、座標系に対してMaxwell方程式を不変に保つために、時間のずれを導入。しかし、彼はエーテル内部で運動する物体の収縮は現実に起こると考えたものの、時間のずれは実在するとは考えず、あくまで計算上の便法と捉えた。本当は電磁場の強度として現在の値を使うべきなのだから、エーテル内部を運動している効果はどこかに現れるはず、というのがLorentzの解釈だったように思われる。
  • 1904年 Lorentzが論文「光速度に達しない任意の速度で運動する系における電磁現象」("Electromagnetic phenomena in a system moving with any velocity smaller than that of light")を発表。本論文はLorentzの収縮仮説のいわば決定版。本論文の中でLorentzは、それまでは第一近似の程度、つまり真空中の光速度に対する運動物体の相対速度の比v/cが一次の量として現れる範囲に限っていたのに対し、二次の量(v^2/c^2)にも拡大。
  • 1905年6月5日 Poincaréが論文「電子の力学について」("Sur la dynamique de l'electron")を発表。Poincaréが本論文を書く上で、天啓を得るきっかけになったのは、上の1904年のLorentzの論文であると思われる。Lorentzはその論文(および1895年の著書)で、変換後の時間座標を現実の時間と対比して「局所時間」(Ortzeit)と呼んだが、彼はそれをあくまで計算のために便宜的に導入された変数と見做し、現実の時間とは別であると考えていたようである。Poincaréはこの解釈に反対し、そもそもMaxwell方程式では運動と静止が原理的に区別できない、つまりMaxwell方程式は相対性原理を満たしているのではないか、と考えた。しかし、この時点ではこの考えを厳密な理論としては展開していない。また、Lorentzが導いた座標系間の変数変換が「Lorentz変換」と初めて呼ばれるのは、Poincaréによる本論文においてであり、以後この呼称が定着する。
  • 1905年6月30日 Einsteinが論文「運動物体の電気力学」("Zur Elektrodynamik bewegter Körper")を発表。この時点でEinsteinが依拠しているのは専らLorentzの1895年の著書であって、まだ1904年の論文を読んでいない(1913年、Blumenthalによって編集された論文集『相対性原理』(Das Relativitätsprinzip)に、「電気力学」論文が再録されているが、そこにEinsteinが付けた註によって分かる)。本論文でEinsteinは、相対性原理と光速度不変の原理という(一見矛盾する)二つの原理から出発して、ガリレイ変換を書き換える(二つの原理が矛盾しているように見えるのは、我々がニュートン力学で知っている速度合成の法則、つまりガリレイ変換を前提にして考えているからであって、これを破棄さえすれば、二つの原理は矛盾しないことが分かる。相対性原理はガリレイ変換を必然的に含むわけではない)。

参考文献 

細川亮一 『アインシュタイン―物理学と形而上学』 創文社、2004年
吉田伸夫 『思考の飛躍―アインシュタインの頭脳』 新潮社、2010年

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