2020年7月25日土曜日

ビー・ガン『ロングデイズ・ジャーニー』を観て(ネタバレ注意)

中国の若き鬼才,ビー・ガン(毕赣)監督の『ロングデイズ・ジャーニー』を観た.原題は『地球最后的夜晚』(地球最後の夜)で,『凱里ブルース』に引き続きビー・ガンの二作目である.最近観た映画の中で一番衝撃的な映像体験だった.観終わってから数日間,この映画のことしか考えられなくて,しばらく放心状態になっていた.

父親の死を機に12年ぶりに故郷の凱里に戻った主人公が,ある女性の面影を追って放浪するという話である.予告はこちら:



前半では主人公の断片的な記憶(夢?)と現実がほとんど脈絡なく流れていく.暗い廃墟のような建物,滴る水,中国の退廃的な街並み,煙草から立ち昇る紫煙といったイメージが濃厚で,昔のフィルム・ノワールの雰囲気を湛えている.仄めかされるストーリーはあるが,一度観ただけでははっきりとした筋を掴むのは難しい.どのシーンが現在で,どのシーンが過去の記憶あるいは夢なのかが分かりづらいし,登場人物たちの会話も焦点が定まらないからだ.映画の後半は,60分という驚異的な長さのワンショット(しかも劇場や3D対応の環境で観る場合は3D)になっているが,前半部分は,この後半のワンショットのための布石の役割を果たしているのではないかと思う.つまり,後半のワンショットの効果を最大限にするために,鑑賞者の心を無意識レベルで準備させる役割を果たしているのだと思う.

この後半部分は,まるで目を開けたまま夢を見ているような感覚に陥る映像である.前半も夢のような映像だが,後半はまたそれとは違った仕方で,夢の生々しいテクスチャーや,脈絡を欠いた独特のロジックを再現している.夢を観るという体験を,現実の中でここまで再現できるのかと驚愕した.そういう意味で,これは全く新しいタイプの映像体験に挑戦した画期的な作品だと思う.これがさらに3Dだとどうなるのか気になる.主人公はリフトに乗って,地元の小さなお祭りが開催されている村に降りていき,そこでかつて殺された幼い頃の友人や,面影を追っていた女性にそっくりな人たちに出会う.この村は,村上春樹の作品によく登場する「あちら側の世界」のような場所で,主人公の内面世界の反映であるように思える.劇中とエンドロールで流れる中島みゆきのデビュー曲『アザミ嬢のララバイ』も,作品の美しさと痛切さを際立たせている.

ビー・ガンのデビュー作『凱里ブルース』と同様,生々しいテクスチャー,夢と現実の交錯,独特の時間感覚,水といったモチーフの使い方など,タルコフスキーの影響が作品全体を通して随所に感じられる.タルコフスキーの作品へのオマージュであろうシーンもいくつかある.テーブルからコップが落ちるシーンは『ストーカー』のラストへのオマージュだろうし,馬が運んでいる林檎が大量に落ちるシーンは『イワンの子ども時代』(僕の村は戦場だった)の同様の夢のシーンへのオマージュだろう.また最後に家が回転する中でメインの登場人物二人がキスするシーンがあるが(このシーンは途方もなく美しい),これはタルコフスキーの作品において「浮遊」が果たしているのと同様の効果を果たしていると思う.

とりとめのない感想になってしまったが,今後もビー・ガン監督の作品に注目していきたい.

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