【序章 法哲学の厳密性を確保する法思想史方法論と現代福祉国家の問題】
「リバタリアンは人間の完全性への憧憬を持ち合わせていないため、近代法がただ強い個人を想定しているのとは異なり人間は不完全なものであり理性には限界があるということを強く意識するがゆえにあえて無色透明な人間像を採用しているのではないだろうか。つまり、リバタリアンが経済力・交渉力の格差を考慮に入れない無色透明な人間像を前提とするのは、法が法主体の多様性を把握することは不可能だという一種の諦観に基づいているからだと思われる」(橋本祐子「リバタリアニズムの法理論」p.67)
→ こうしたリバタリアニズムを「確固たる人間観なきリバタリアニズム」と呼ぶことにする
人間をあるがままの自然状態の中に放置すると想定する。すると、人間はハートが指摘したような弱さ故、自然と強制力を持った装置を熱望するのではないか。……リバタリアニズムが個人の生活への国家介入を拒否するならば、そこには何等かの目的意識から構成された人間観が必要なのではないか。あるいは確固たる人間観なきリバタリアニズムは、自らは人間のあり方から不自然でない形で最小国家論を導いたかのように装うが、実はある一定の人間観を密輸入して自己の理論を組み立てているのではないか。(p.33)
【第一章 一八世紀後半ドイツの状況】
カントにとって重要なのは立法権と行政権の分離であり、行政権は元首に委ねられる。この元首とは、カントの時代においては国王である。立法においては代議制のみが採り得る道としながらも、執行権を掌握するという形で国王の君臨を許すことから、カントが少なくとも現代的な意味での民主制を支持しなかったと結論して良い。(p.99)
「民主主義のために戦ったのちの自由主義的教義とは異なり、初期の自由主義は通常、統治の最善の形式に関して慎重に言明を避け続けた。万民の最大限の自由を保障する政体である限りは、君主制でも、貴族政でも、民主制でも良かったのである。」(Frederick C. Beiser, The Early Political Writings of the German Romantics p.xxiii)
【第三章 フンボルトの前期思想】
「人間の真の目的は、——変わりやすい傾向ではなく、いつまでも変わらない理性によって示されるものであるが——人間の持つ諸力を最高にしかも最も調和のとれた一つの全体へと陶冶すること(Bildung)である。この陶冶の為に自由は、第一の不可欠な条件である」(『国家活動の限界を決定するための試論』)
「彼[フンボルト]の自由の概念は彼の文化の概念と密接に繋がっている。彼にとって自由とは、人間の諸力の発展と、それゆえ文化の発展の不可欠の基礎を形成する、不定で多様な活動の可能性を意味する」(Reinhold Aris, History of Political Thought in Germany from 1789 to 1815 p.147)。つまり、フンボルトの自由はそれ自体が価値を持つのではなく、最終的に己の諸力を文化形成に資するように導くための概念なのである。ここに政治参加への自由、といった積極的自由の概念は見られない。フンボルトの自由は、消極的自由の範囲を出ない。(p.142)
「われわれの存在に関する究極課題とは、次のようなものである。われわれの人格の中に、われわれの生前と死後を問わず、われわれが後に残す生き生きとした活動の痕跡によって、人間性(Menschheit)の概念に対して出来るだけ多くの内容を与えることである。このような課題を解決するためには、われわれの自我を世界と結び付けて、最も普遍的で、最も活発な、最も自由な相互作用を保つほかになす術はない。このことだけが、人間の認識のあらゆる部門の取り扱いを評価するための、真の尺度とならなければならない」 (『人間形成と言語』pp.68-69)
シュプランガーによる、フンボルトの人間性理念の説明:「個性」(Individualität)が諸力の「全面性」(Allseitigkeit)・「普遍性」(Universalität)を通じて自らを「全体性」(Totalität)へと形成していく。
ここで注意すべきは、フンボルトが社会集団あるいは社会関係というものを想定していたとしても、それは専ら個人という存在に対する影響に関する限りで彼の関心を引いたということだ。我々は社会集団(共同体)がフンボルトによって言及されているからといって、そこに政治的組織といった含意を読み取ることはできないのである。(pp.145-146)
フンボルトの哲学にはライプニッツの予定調和的世界観がある(個人に可能な限り自由を認めることが全体にとっても良い)。しかし社会における全体の秩序は個人の完成への努力に比べてあくまで副次的な問題。(p.147)
「後の自由主義とは異なり、彼[フンボルト]は民主制の擁護者ではなかった。彼の視野においては、容易く下層民の暴走に転じ得る民主制よりも独裁制や貴族政の方が自由を保障し得る。」
Frederick C. Beiser, Enlightenment, Revolution, and Romanticism p.111)
→ モンテスキュー、ルソー、ヴィーラント、そしてカントも、小さな共同体以外で民主制が現実になることを疑っている。
フンボルトにとって民主制採用を阻む障害は「無教養な民衆」である。この層が政治を掌握すれば、暴発し、専制あるいは無秩序になるという懸念があったのだろう。これは、フランス革命直後のパリを視察したフンボルト自身の経験が教えるところであったと推測される。(p.161)
→ 教養を身に付けていない者が政治に口を出せば、己の利益のために政治を利用し、他者(および自身)の陶冶を妨げることになる。
フンボルトには政治的討議で自己を練磨していくという発想は見られない。(p.162)
【第四章 フンボルト国家論における人間観の問題】
フンボルトの教育論にデヴィッド・ソーキンは、新人文主義と啓蒙主義の和解を見る。即ち、啓蒙主義、特に統治者側からの啓蒙的理念において陶冶概念は国家に有益なものであった。しかしフンボルトは陶冶を単なる道具的概念とすることを認めたくなかった。そこで、啓蒙の諸目的は間接的に、陶冶の意図されたしかし付随的な帰結として実現されるべきである。フンボルトは自由な個人になるように教育された人間の方が、市民になるように教育された人間よりも、究極的にはより良き市民となる、と主張した。「道徳的人間あるいは良き市民」の状態を作り出し国家に奉仕することが国家の究極の目的である。しかしカリキュラム上は直接そのことを目指すのではない。国家目的は、個人を無益な職業訓練に従事させることではなく、個人独自の性格を発展させるように教育することによって、最も良く達成される。(p.193)
フンボルトの作品の随所で登場する「(諸)力」の概念は、ライプニッツの「力」概念の継承。フンボルト自身の受けた教育の中で特に影響力が強かったのはライプニッツであった(ライプニッツはフンボルトにとって最初の哲学的支柱であった)。(p.208)
【第五章 フンボルトの限界とその克服の試み】
「社会の全員が常に社会的意識を持て」と命令することはリバタリアンには許されていない。我々はただ、確固たる人間観なきリバタリアニズムの議論より「緩やかな程度の政治志向性」の方が、社会的意識を有した人間が多く登場すると言い得るのみである。(p.255)
「国家の配慮というものは、全ての者が何を学ぶかではなく、全ての者が学ぶということにある」(Hans Maier, Staat, Kirche, Bildung p.72)
【終章 現代正義論へ向けて】
個々人の善の領域における幸福追求 も、その周囲を囲む領域の安定が前提となっている。秩序安定のために様々な制度(例えば、国家)が考案されるのであるが、この秩序維持に最も重要な要素はやはり人間ではないか。いくら機能的な制度を秩序維持のために導入しても、運用・利用する人間がそれに適合的な資質を持たなかったら、当該制度は秩序の維持に失敗するか、あるいは一部の人間が秩序維持目的の制度を独断的に利用し、他の人々の善を破壊するほどに暴走する恐れがある。(pp.280-281)
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