2011年4月25日月曜日

ローティにおける「公」と「私」の区別

「リベラル・アイロニスト」として知られる思想家リチャード・ローティは、著書『偶然性・アイロニー・連帯』(Contingency, Irony, and Solidarity)においてその独自の自由主義を論じている。ローティは信念・価値観の「偶然性」(contingency)および人間の「可謬性」(fallibility)に基づき、「政治」と「哲学」――つまり「公」と「私」――を切り離すべきだと論じている。さて、この著作を発表するまでは主に「哲学」の問題を専門的に研究してきたローティが、どうしていきなり「政治」を問題とするようになったのだろうか。以下にその理論的背景を俯瞰しておきたい。

【リベラル・アイロニストの思想】

ローティは自らの考える理想的な社会を「リベラル・ユートピア」(Liberal Utopia)、その住人を「リベラル・アイロニスト」(Liberal Ironist)と呼ぶ。「リベラル・アイロニスト」とは、ローティの定義によると、政治的には自由主義と民主主義からなる近代の政治体制や市民社会のあり方を受け入れ、積極的に擁護しつつも、私的な価値観としては「アイロニスト」の著作や価値観を容認し、愛好しているような人物のことである。

ローティの考えるリベラルとは、J・S・ミル、バーリン、デューイ、ハーバーマス、ロールズといった論者に代表される、近代の西洋において一般的に理解されている広い意味での自由主義である。彼らは基本的に近代の政治体制に肯定的な見解を持っており、より民主的な社会を実現するための議論を行っている人たちである。

一方、ローティの考える「アイロニスト」とは、「自分にとって最も重要な信念や欲求の偶然性に直面する類いの人物、つまりそうした重要な信念や欲求は、時間と偶然性の範囲を超えた何者かに関連しているという考えを棄て去るほどに歴史主義的で唯名論的な人」(Rorty, 1989)のことである。具体的には古代ギリシャから近代までのヨーロッパにおいて培われてきた哲学、宗教が規定する人間像に対し、懐疑的な考えを持っている人々のことであり、ローティが「アイロニスト」の思想家として挙げているのはヘーゲル、ニーチェ、キルケゴール、フロイト、ハイデガー、フーコー、デリダなどであるが、それらの多くは英米系の哲学界から見た「大陸哲学」の思想家である。ローティは「アイロニスト」の条件として①自分がいま現在使っている「ボキャブラリー」(vocabulary)を徹底的に疑い、絶えず疑問に思っている、②自分がいま現在使っているボキャブラリーで表された議論はこうした疑念を裏打ちしたり解消したりすることができないと分かっている、③自らの状況について哲学的に思考するかぎり、自分のボキャブラリーの方が他よりも「実在」に近く、自分以外の力(例えば合理性、神、真理、歴史)に触れているとは考えていない、という三点を挙げている。

ローティの考える上記のアイロニストのうち、ニーチェ、ハイデガー、フーコーは近代の西洋の市民社会における制度に対して懐疑的・批判的であり、彼らに影響を受けた多くの思想家たちも同様である。自由主義と民主主義を、近代までのヨーロッパにおいて培われてきた哲学、宗教が規定する人間像に基づいて生まれてきたものだと捉えると、その基礎の部分である哲学や宗教のあり方が懐疑や批判に晒されれば、当然自由主義と民主主義も同様に懐疑と批判に対象になり得るというのがこれらの思想家に共通する考え方である。しかし、ローティの政治に対する考え方はこれとは真逆である。ローティはニーチェ、ハイデガー、フーコー、デリダなどをアイロニカルな理論において自分と同じ趣味を持つ哲学者だと考えているが、「リベラル・アイロニスト」になるということは、これとは別系統の、相反する思想を同時に受け入れるということである。

ローティは、そもそも社会制度の基礎となる「哲学」を覆せば「制度」まで覆さなければならないという考え方は、プラトンが考えたような、形而上学的に一貫した哲学による社会体制という思考形式を未だ捨て切れていないことの表れなのではないか、ということを指摘する。「アイロニスト」の哲学に従い、それをそのまま政治理論に適用することは、「プラトンの呪縛」としての伝統的な西洋の知的態度から結局抜け出せないでいるのではないか、ということである。しかしローティの考える「リベラル・アイロニスト」は、「私的」な領域においては「アイロニスト」の思想を保持しつつ、「公的」な領域である政治の場にはこれを持ち込まない、いわば「ミルの仮面をかぶったニーチェ」という生き方である。

ローティによると、 このような「公」と「私」の区別という考え方はT.ジェファーソンやW・ホワイトマン、デューイといたアメリカの民主主義を建設し、これを肯定的に捉えている人々の中によく見られるという。ローティやデューイのプラグマティズムの思想は、道徳を哲学的に基礎づけて構築するカント的な道徳哲学からすると浅薄なようにも見えるが、ローティはこの哲学的浅薄さこそが、近代の啓蒙主義と世俗主義が神学を駆逐したのと同様に、「哲学に基礎づけられた道徳」が、より寛容に、よりリベラルに改良するのに役立つと考えていた。

【可謬性と偶然性】

ローティの自由主義を考える上で、彼がJ.S.ミルの自由論に高い評価を与えているという点が重要であるように思われる。ローティとミルの自由主義は、自然権に基づく伝統的な自由主義や「自己所有権」に基づくリバタリアニズムとは大きく異なる。ローティにとっては、権利という概念が存在すると述べることは形而上学的な議論以外の何者でもなく、それもまた放棄されるべきものなのである。

ミルが個人の自由が保障されなければならない理由として挙げているのが人間の「可謬性」である。ある人の思想が、社会の大多数の人々から見ると奇異なものであるように思えても、その人が考えていることが他人に害を与えるものでない限りは、その考えがどれほど奇異であってもその人がそのように考えることは社会的に許されなければならない、というのがミルの考え方である。「真理」の存在と、神の知識を持つ教会の無謬性という想定に立ち、中世のキリスト教はガリレオを「異端者」として弾圧したが、現代においては彼の世界観は「真」とされている。これと同様に、社会制度や道徳も、歴史の進展によってより良いと思われる方向へ変化していく。そのように誤謬が修正されていくのも、多様な意見・価値観の存在を容認するような社会の「寛容さ」が近代になるにつれてますます保障されるようになったからである。一見すると奇異な意見であるように思えても、それを圧殺せず、その存在を是認し、またそれを公表する自由があれば、いつかその考え方が大勢を覆し、主流となることもあるかもしれない。このミルの「可謬性」という考え方は、ローティの「偶然性」という考え方とうまく重なる。ある人が自分の意見が正しいという確信を持つのは、自分が所属する社会・文化の無謬性を仮定して、それに拠っているからに過ぎない。そして、自分がどの社会・文化に所属するかは、自分がどの社会・文化のもとに生まれ育つかという「偶然性」によってしか決まらない。よって、自分が所属する社会・文化に無謬性を求めるのは無意味である、とミルは論じている。

ローティもこれと同様に、自己の偶然性を論じている。ローティが考える「アイロニスト」は、自らが現在持っている最高の信念である「ファイナル・ボキャブラリー」(final vocabulary)を、本当の意味で最高のものとは思っておらず、あくまで暫定的に最高のものだと思っている。自らに与えられたボキャブラリーは偶然的に生れ落ちた土地と時代における、その地域特有(parochial)の用語だと知っている。そのため、自分たちの常識では計り知れない、価値観が相容れない人々が存在していることも知っている。そして、そのようなアイロニストたちは、互いの価値観を尊重し、互いを傷つけ合わないために、互いがいかなる信念・価値を信奉していようとも、それが自分を傷つけるものでもなく他人に害を与える恐れがない限り、許容する自由と寛容を持つようになるのである。つまり、「アイロニー」を徹底すれば「リベラリズム」は必然的に帰結するのである。

ローティは自らの「公」と「私」の区別のモデルとして、「たくさんの排他的なクラブ(英国紳士のクラブのようなもの)に囲まれたバザール(商店が立ち並ぶ市場のようなもの)」という比喩を挙げている。

私はバザールにおいて商談をしている多くの人々が、お互いの信念を共有するくらいなら死んだ方がましだと思いつつも、「ビジネスライク」に交渉しているところを思い描く。そのようなバザールは明らかにマッキンタイアーやR.べラーのような自由主義の批判者たちによって用いられた意味での「共同体」ではない。……もし、そこに居合わせたなら、役所や八百屋の店先やバザールにおいて信じ難いほどの「差異」を見せつけようとするような人が現れても、ただ感情を上手くコントロールする能力さえ持ち合わせていれば良い。そのようなことが起こったならば、できるだけ微笑みを絶やさずに上手にその場を切り抜け、その日の辛い商談が終わった後に自らの「クラブ」へと戻れば良い。そこでは自らの道徳観を満たすような親しい人々との交わりによって心安らぐことができるだろう。(Rorty, 1991)

この箇所はローティの「公」と「私」の考え方がとても鮮明に表現されているところであろう。ローティにとっての自由主義・民主主義・多元主義とは、枠組としての公的空間の中に私的なものが群立するというイメージが強い。また、ローティにとっての「政治」とは、中立的な場としての「バザール」において無表情で「ビジネスライク」に行われる交渉のように、積極的な価値表現の場ではなく消極的な意味で捉えられている。可謬性・偶然性の承認による「自由主義」の概念の内実を哲学的に基礎づけることは不可能であると同時に不要である。というのも、普遍的な「自由」の概念は、「自由の強制」となり、もはや「自由」ではないからである。ローティにおける「自由主義」とは、概念として実体化するべきものではなく、多様な考え方や価値観が並存する「場」や「枠組み」として理解されるべきものなのである。

最後に、アイザイア・バーリンの言葉で締めくくりたい。「消極的自由」の概念で知られるバーリンは、その論文「二つの自由概念」を、ヨーゼフ・シュンペーターの言葉を引用しつつ以下のように結んでいる。

「自己の確信の正当性の相対的なものであることを自覚し、しかもひるむことなくその信念を表明すること、これこそが文明人を野蛮人から区別する点である。」これ以上のものを要求することは、おそらく人間の不治なる深い形而上学的要求というものであろう。しかしながら、この形而上学的要求に実践の指導を委ねることは同様に深い、そしてはるかに危険な、道徳的・政治的未成熟の兆候なのである。(Berlin, 1958)


【参考文献】
  • Berlin, Isaiah (1958) "Two Concepts of Liberty"in Isaiah Berlin (1969) Four Essays on Liberty. Oxford: Oxford University Press.
  • Rorty, Richard (1989) Contingency, Irony, and Solidarity. Cambridge: Cambridge University Press.
  • --- (1991) "On ethnocentrism: A reply to Clifford Geertz", in Objectivity, Relativism and Truth: Philosophical Papers I. Cambridge: Cambridge University Press, pp.203-210.
  • 大賀祐樹 (2009) 『リチャード・ローティ―リベラル・アイロニストの思想』藤原書店

2011年3月20日日曜日

トービン税と貨幣発行自由化

以下の文章は『帝国の条件:自由を育む秩序の原理』における橋本努氏の「トービン税と世界通貨の育成」構想をまとめたものである。



市場経済のグローバルに対する批判的言説として、「国際的な投機資金の流れが世界の諸地域を不安定に陥れているのではないか」という声が聞こえ始めて久しい。このような懸念は90年代の諸地域における経済危機――1992~93年の欧州通貨危機、1994~95年のメキシコ債務危機、1997年のアジア通貨危機など――から想起されるだろう。もし市場経済のグローバル化の本質が「投機駆動型の不安定な世界再編」にあるとすれば、我々は如何にしてこの過程を飼いならすことができようか。

このような問題は、経済学の古くて新しい問題である。というのも、「投機による市場の攪乱」という問題は、既にケインズがその主著『一般理論』において取り組んでいる。ケインズによると、市場経済は人々の慣行的(コンヴェンショナル)な行動によって安定性を獲得する一方で、もしその慣行に変化が現れると、それを先読みしようとする群集的な投機行動の結果として、累積的な不均衡化に陥る場合があるという。実際このような投資家集団による市場の攪乱は、90年代の諸々の通貨危機において共通する現象であったと言えるだろう。

そしてケインズ派の経済学者たちはこの問題――「国際金融市場の不安定化を如何に飼いならすか」――に早くから取り組んできた。例えばノーベル経済学者のジェームズ・トービンは、既に1970年代の時点で国際金融市場の不安定性を取り除くための為替取引税案というものを提案している。為替取引に対する課税によって投機資金の移動を抑え、国際金融システムの安定化を図ろうという構想である。「トービン税」と呼ばれるこのアイデアは、発表当初こそほとんど無視されたものの、90年代におけるいくつかの金融危機を契機に、最近注目度が高まっている。とりわけフランスの社会運動組織「アタック(ATTAC)」がトービン税の導入を掲げて国際的な社会運動を展開し、この運動は現在「もうひとつの世界は可能だ」というスローガンを掲げる「世界社会フォーラム」に発展的に継承されている。

いまや「トービン税」に賛成する人々は市場を民主的に管理することが望ましいとするケインズ=マルクス的な左派イデオロギーの信奉者で、反対する人々は新古典派的な市場至上主義者である、というような思想的図式が一般的であるように思える。しかし、このような理解は単純に誤りである。実際トービン税を提案したトービン自身も、ケインズには共感を寄せるとしても、ケインズとマルクスを結びつける左派のイデオロギーには反対していた。トービン税の構想は今後の世界秩序を展望する上で思想的に開かれた問題を提起しているのである。

さて、 『帝国の条件: 自由を育む秩序の原理』において橋本努氏が提示している「トービン税とハイエクの貨幣発行自由化論を融合させる」というアイデアを、以下に紹介したい。そのためにまず、トービン税の具体的な制度案を説明したい。

トービンがトービン税のアイデアを提出した際の具体案として、スポット取引(現物取引)に対して取引額に応じた一律の課税(1%)を提案している。スポット取引に課税すれば、短期的な資金の移動を減少させるインセンティヴが働くだろう。またトービン税の徴税機関としては様々な案があるが、さしあたって各国の税務局や金融当局が徴収することになるだろう。そして各国政府は徴税したトービン税のいくらかをIMFや国連などの国際機関に配分するよう求められるだろう。どの機関がトービン税を徴収するかという問題は、トービン税の税収をどのような用途に使うかによって決まるだろうが、いずれにせよトービン税の構想は、経済のグローバル化の恩恵を受ける人々から徴税することによって、相対的に恵まれない人々のために使われることになるだろう。

しかし、トービン税には一つ決定的な懸念がある。それは、「トービン税を徴税することによって市場が逆に不安定化するのではないか」という根本的な疑念である。理論的に言えば、為替取引の多くは実物取引に伴う為替リスクをヘッジ(回避)することを目的としているが、トービン税が導入されると取引者たちはよりコストのかかるヘッジを強いられるようになり、その結果として取引が全体的に短期化すると思われる。実際、トービン税を課すと為替レートのボラティリティ(変動率)が上昇するという実証研究も存在する。つまり、トービン税の導入は、ヘッジ技術の制約から、投機による市場の不安定性がかえって増すのではないか、という指摘である。トービン税を導入するにあたっては、このような可能性を仔細に検討する必要があるだろう。

次に、トービン税の導入から、最終的には貨幣発行権の民間譲渡(ハイエクの貨幣発行自由化論)に至るまでのシナリオを描いていきたい。トービン税が導入されると、市場参加者たちはこの課税を避けようとして、通常の為替取引に代わる金融派生商品を開発するだろう。あるいはまた人々は、自国の通貨を用いずに、なるべく為替取引の必要のないように、世界的に流通しているドルやユーロを使うようになるだろう。とりわけ小国にとっては、自国の通貨を用いるよりはドルを用いた方が経済効率に優れていると見なされるだろう。反グローバリズムの立場からすれば、これらの動きは望ましくないだろう。彼らは「市場の安定化と管理」という観点から、「金融派生商品に対してもトービン税を課す必要がある」、あるいはドルやユーロのヘゲモニー化(権力集中)に対しても、これに抗いつつ、「途上国が国民通貨の発行権を主体的に確立するべきだ」と主張するだろう。

しかし、このような対応には限界がある。金融派生商品にもトービン税を課すとしても、それを回避するための新たな金融派生商品が次々と開発され、イタチごっこと化すだろう。また、ドルやユーロの「ヘゲモニー化」に人為的に抗うことは自国の経済を不利に晒すことになるため、あまり現実的な選択肢とは思えない。ハイエク的に発想するならば、我々の「設計主義的理性の限界」を「進化論的理性の成長」によって補っていく必要があるのだ。貨幣システムに即して言えば、我々は複数の世界貨幣が市場の中から自生的に生成するようなシステムを構築する方向に向かうしかない。

そしてその場合、トービン税は、市場の内部から世界貨幣を生成するための第一ステップとなる。もちろんトービン税の直接の目的は金融市場の安定化(と一定の税収の確保)であるが、その意図せざる結果として世界貨幣の創出を期待できるかもしれない。というのも、トービン税を回避するための金融手段が発達して、それが世界貨幣へと進化するかもしれないからである。

例えば各国の企業は、為替取引に課されるトービン税を回避するために多国籍企業化し、仮想の貨幣尺度を用いた企業内決済システムを発展させていくかもしれない。また生産コストの計算や賃金制度も、その新しい貨幣尺度に基づいて行われるかもしれない。世界を飛び回りながら仕事をすすめるコスモポリタン社員には、通貨バスケットにペッグ(固定)した賃金の支払いがなされるかもしれない(これは既に一部の国際機関で導入されている)。また国際金融市場においても、 金融派生商品がいっそう進化していくだろう。例えばピーター・ガーバーによれば、トービン税を回避する手段として、三日後の先渡し取引に代えて、三日後満期のアメリカ国債と日本国債を交換するという取引が生まれるかもしれないという。この場合、国債は決済手段として貨幣性を帯びることになるが、ここでもし国債の売買に対してもトービン税が課されるようにばれば、今度はこの課税を逃れるために、小麦をベースにした代替取引や、S&P500株価指数をベースにした取引が開発されるかもしれない。あるいは金(ゴールド)が再び貨幣として登場するかもしれない。課税回避手段はさらに、通貨と財務省証券とのスワップの組み合わせを生み出すかもしれない。

さて、このような金融派生商品が高度に発達した段階こそが、 ハイエクの貨幣発行自由化を導入するタイミングである。ハイエクの貨幣発行自由化とは、中央銀行による貨幣の独占的な発券を改めて、民間の銀行や企業が、それぞれ独自の流通手段を発行できるように制度を変えるという制度改革案である。フリーバンキング論を支持する人の多くは、「金」を100%準備とした民間銀行による自由な貨幣発行を求めてきたが、これに対してハイエクは、金を100%準備する必要はなく、どんな方法で発券しても構わないとしている。例えば私が貨幣を刷って、それを発券することもできる。もちろん貨幣は信用が無ければ流通しないので、貨幣発行者は貨幣の流通に必要な諸条件(流通範囲、受領可能性、持続可能性に対する信頼など)を自ら整備しなければならない。ハイエク的な自由貨幣制度の下では、貨幣は通常の商品と同様に市場メカニズムを通して受け入れらたり拒否されたりするだろう。ハイエク的な貨幣制度では、ひとえに信用のある貨幣は成長し、信用の無い貨幣は淘汰されていくことになる。

もしこのような貨幣発行自由化政策が実現できれば、例えばVISAやマスター・カードといった信販会社が、世界に流通する独自の貨幣を発行するかもしれない。あるいは米が主食の諸地域では米の価格にペッグされた通貨が信用を得て成長するかもしれないし、あるいは複数の農作物や商品のバスケットにペッグされた通貨の生成も考えられる。またローカルなレベルでは、現段階では「商品券」に過ぎない地域通貨が、法的に通貨の地位を獲得して、地域の活性化を促すことになるかもしれない。

このような段階に来て、仮に国際機関がVISA通貨やマスター・カード通貨にトービン税を課税したとしたら、今度はこれらの貨幣がますます流通圏を拡大させることになるだろう。(なぜなら、人々は課税を回避するためにドルやユーロに代えて専らVISA通貨やマスター・カード通貨を利用するようになるだろうから。なぜ公的通貨より民間通貨の方が好まれる可能性が高いかというと、民間組織によって発行される貨幣を使用する消費者にとってメリットのあるシステムが開発されると思われるため。例えば日本人がアメリカのインターネット本屋でクレジットを用いて本を購入する場合、VISA社やマスター・カード社は自社の通貨で決済した方が為替手数料や為替レートが安くなるように設定して、自社の通貨を使用するよう促すだろう。このようなプロセスを経て、基本的にドルやユーロなどの公的通貨は民間通貨に淘汰されると予測される)。このような、民間通貨の流通圏拡大現象は、トービン税の導入(と課税範囲拡大)によって得られるポジティヴ・フィードバックである。

さて、トービン税構想の最終段階として橋本努氏は「徴税権を持った世界政府の運営」を据えているが、私はそのような展望には多少懐疑的だ。仮に世界政府が実現できたとしても、そのような組織の健全な運営は果たして可能なのだろうか。その統治範囲の圧倒的な規模を考えると、徴税権(及び再分配権)はローカルな統治主体に委ねた方が遥かに効率が良さそうだ。世界政府はむしろ、現在の国連のような、安全保障や環境問題などに積極的に取り組む組織であれば十分のように思われる。

以上に描いたトービン税・貨幣発行自由化構想は、世界通貨を自生的に生成させるという企てである。その潜在的作用として、私たちの視点・関心をよりグローバルな方向へと仕向け、世界規模の開けた市場秩序を導くことに資するであろう。

2011年2月17日木曜日

サイバネティクスと「創発」

1990年代、アメリカの科学者の間で「知的設計論(インテリジェント・デザイン)」という考え方が広まった。その内容はというと、「知性ある設計者によって生命や宇宙の精妙なシステムが設計された」とする説で、従来のダーウィン的な進化論を否定するものだった。この説は、「原始的な動物が次第に進化して人間になった」という進化論の世界観と、「全ての人間の祖であるアダムは神によって創造され、その妻イヴはアダムの肋骨から生まれた」という聖書の記述を巡る論争から生まれたもので、創造論を信じるキリスト教徒やユダヤ教徒にとってはうってつけの理論だった。ブッシュ大統領をはじめ知的設計論を信じる一部の人たちは、公立学校の理科のカリキュラムに(進化論の代わりに)知的設計論を導入しようとする運動を展開し、社会問題になった。結局この試みは「政教分離の原則に反する」として、ペンシルベニア州裁判所によって知的設計論を教育することを禁止する判決が下され、問題は一応の解決をみた。

さて、この騒動のおかげで「知的設計論」 の世評は大きく損なわれる結果となったが、 果たしてその主張は本当にバカバカしいものだったのだろうか?果たして知的設計論は本当に科学的価値のない、単なる宗教的信条として処理してしまっていいのだろうか?私は「否」だと思う。というのも、生命や宇宙を設計したという「知性」は、必ずしも「神」である必要はないからだ。

サイバネティクス論などで有名なグレゴリー・ベイトソンは、生命と宇宙の法則性を司る大いなる「マインド」の存在を主張した。彼はその代表的著書『精神の生態学』(Steps to an Ecology of Mind)において、世界をシステムの連関・集積として捉え、それぞれのシステム内の諸要素が競争と相互依存を繰り返すことによってシステム全体の秩序が保たれていると述べている。これらのシステムはすべてフィードバックによって環境の変化に適応し、絶えず自己修正していく。(このようなシステムをサイバネティクス・システムと言う)。そしてすべてのシステムを秩序付ける大いなる法則性こそが「マインド」なのである。ベイトソンにとっては細胞も、人間の精神も、 動物の生態系も、高度な人間社会も、すべてサイバネティクス・システムであり、そこには常に「マインド」が遍在している。

例えばシロアリを想像してみて欲しい。シロアリは巨大で複雑な蟻塚を作ることで知られているが、それぞれのシロアリは驚くほど単純ないくつかの機械的な「行為ルール」に基づいて振舞っているに過ぎず、「意識」を持たない。(E.O. Wilson, The Insect Societies) しかも、「蟻塚の作り方」というもの自体は遺伝子に組み込まれておらず、それぞれのシロアリの行動は単独では意味を成さない。しかし、そのようなシロアリが何万匹と集まると、彼らの行動の集積の「意図せざる結果」として巨大で複雑な蟻塚が出現する。固体単位でみれば「知能」があるようにはとても思えないが、系全体としてみれば「知的」な生命体にみえるのである。

このような現象は「創発」(emergence)と呼ばれている。「創発」とは、要素の単純な相互作用や連関から、複雑なシステムやパターンが現れる現象のことだ。ただ、ここで注意しなければならないのは、「創発」には二種類――「弱い創発」と「強い創発」――があるということである。「弱い創発」は、「部分からは予測できない何か」が出現することを言うのに対して、「強い創発」は、「部分の総和以上の何か」が出現することを主張する。両者には明らかに違いがある。前者は、部分の単純な振る舞い以上の「何か」を想定しておらず、あくまでわれわれ人間には「予測できない」全体の性質に言及しているに過ぎないが、後者は部分の振る舞い以上の「何か」が実際に現象として生じることを想定している。言い換えれば、前者は観察する人間の主観に依存する認識論上の「創発」であり、後者は人間の主観からは独立した存在論上の「創発」である。

Mark Bedauは、「強い創発」が必然的に伴う「呪術的」な含意を、以下のように不安げに述べている。

強い創発は理論上は可能だが、不気味な「呪術的」要素を伴わざるを得ない。部分に還元できない付随的(スーパーヴィーニエント)な下方因果の力が出現し得るとすれば、それは定義上部分の性質の総和によるものではあり得ないのだから、どのようにしてあり得るというのだろうか?そのような因果力が本当にあるとすれば、それは我々の科学的知見からはおよそかけ離れたものである。したがって、そのような力の存在は、通常の唯物論的な世界観とは噛み合わない。そればかりではなく、そのような怪しい力を想定することは、創発が「無から有を得る」という非論理的な意味合いを孕んでいるのではないか、という以前からの憂慮が増すことになる。(Bedau, "Weak Emergence")

私もBedauと同様、「強い創発」には「オカルト的な薄気味悪さ」を感ぜざるを得ない。後の論文でBedeauが指摘しているように、「強い創発」の存在を想定することはおそらく科学的に誤りだろう。

さて、上の蟻塚の例に戻ろう。私が言いたいのは、「複雑な人間社会もシロアリの蟻塚と全く同じような現象なのではないか」ということである。自然界のすべての複雑現象――生命、精神、社会、生態系――も蟻塚の例と全く同じように、部分の機械的・法則的な振る舞いから、必然的帰結として「創発」している(ように見える)だけなのではないだろうか?

このことを示唆する面白い実験がある。トーマス・レイが開発した「Tierra」という人工生命システムだ。Tierraでは、自己複製する一個のプログラム(遺伝子コード)を「仮想生命」に見立て、コンピュータのメモリ空間内で「飼育」する。仮想生命に与えられたエネルギーは、割り当てられたCPU時間である。また、メモリ空間が一杯になってしまうと仮想生命は「子孫」を残すことができなくなってしまうので、メモリが80%以上になると「死神」が現れ、古い仮想生命から消去していく。さらに、自然界における「突然変異」に等しいものとして、自己増殖時に一定確率で遺伝子コード(CPUへの命令コード)のビットを反転させる。この三つの機械的な命令――「自己増殖」、「死」、「突然変異」――を与え、コンピュータを起動したまま長時間放置しただけで、本人ですら予想できなかった驚くべき仮想生命が次々と誕生したのである。別の仮想生命に寄生してCPU時間を奪う「寄生種」や、お互いに集団を形成して助け合いながら複製する「社会的パラサイト」や、「セックス」をして遺伝子同士を混ぜ合わせる仮想生命まで現れた。(詳しくは→http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/jinkou.html)。これは、いくつかの単純な「行為ルール」に基づく部分(遺伝子コード)の機械的な振る舞いから、予想できなかった全体が「創発」した例と言えるだろう。ならば、自然界の複雑現象も同様のメカニズムに基づいている可能性も十分あり得るのではなかろうか?

これがまさにベイトソンの世界観である。デカルトは「我思うゆえに我あり」と論じたが、本当に「我思う」と「我あり」の間のロジックは確かなのだろうか?我々が通常「意識」とみなしている現象は、実は我々の無知と人間中心的な推論による錯覚でない保証は、どこにあるのだろうか?はっきり言ってないと思う。このようにして、知的設計論は別の意味で復活してくるのである。この「新しい」知的設計論では、生命と宇宙を設計した「知性」 は「マインド」であり、「マインド」は我々を含むすべてのシステムに遍在していることになる。

しかし、このような議論は「強い創発」とは別の意味で薄気味悪い想像を孕んでいるように思える。つまり、我々が「没精神的」な存在であるならば、我々にとって自由意志の余地が無くなってしまうのではないだろうか、という想像である。果たして我々はシロアリと何ら変わりないのだろうか?私はそんなことはないと思う。確かに、(このような世界観を採用する限り)大きな視点で俯瞰すれば人間には自由意志がないと言えるかもしれない。しかし、我々は無知だ。シロアリが自らの作る蟻塚を予測できないのと同様に、我々は我々自身の未来を予測することはできない。我々にとって、自らの運命が既に決定されているのかどうかを論じることは意味を成さない――仮に決定されていたとしてもそれを知る術はないのだから。未来を知る術がない以上、我々は全力で大いなる自然(=マインド)にぶつかっていき、失敗してもまたぶつかっていくしかないだろう。それが自由意志を行使するということだ。

2011年1月30日日曜日

「百花斉放・百家争鳴」および「反右派闘争」に見る中国の知識人

1956年から1957年にかけての中華人民共和国において、「国の政策に対する意見や批判を歓迎する」というキャンペーンが中国共産党によって実施された。「百花斉放・百家争鳴(様々な花を開花させ、様々な思想を戦わせよう)」という詩がスローガンとして利用されたことから、このキャンペーンは中国では「百花運動(百花运动)」と呼ばれているが、日本では元の詩「百花斉放・百家争鳴」の名で知られている。結論から言うと、このキャンペーンは「反右派闘争」の引き金となり、悲惨な結果に終わった。中国共産党を批判した「知識人」たちは「右派」のレッテルを貼られ、徹底的に排除された。中には公判の手続きなしに拷問されたり、斬首刑に処せられる者もいた。この事件を通して、それ以後の中華人民共和国における「知識人」、とりわけ人権活動家や自由主義者の弾圧と抑圧の歴史が見えてくるように思う。
「知識人」という語は非常に曖昧で文脈依存的なので、ここにてはっきりと定義しておきたい。ここで言う「知識人」とは、「社会の問題や政治の問題について発言する人々」を指すことにする。一般的なイメージでは、「高等教育を受けている人々」、あるいは「高度な専門的知識を要する職業に従事する人々」というニュアンスも強いが、ここでは必要条件とは見なさない。
さて、「百花斉放・百家争鳴」を説明する前に、まず当時の時代背景を紹介しておきたい。1956年2月、ソビエト連邦共産党第一書記ニキータ・フルチョフによって、(3年前に亡くなっていた)最高指導者ヨシフ・スターリンの強権的な政治手法や個人崇拝を批判する報告書が発表された。スターリン執政期に行われた粛清の一部も暴露され、中国や東ヨーロッパ諸国に動揺をもたらした。特にスターリンの協力を得て建設された中華人民共和国にとっては、このような動きはソ連との対立の可能性を示唆したと同時に、スターリンの強権的な政治手法や個人崇拝が批判されたことが、当時中国において絶対的な権威を掌握していた毛沢東に対する不満や疑念を招くように思われた。このような不満が鬱積することの危険性を察知してか、当時の国務院総理であった周恩来が、後に「百花斉放・百家争鳴」運動となる小規模なキャンペーンを開始し、共産党内での活発な議論を呼びかけた。
このキャンペーンの対象者は、政府の役人と共産党の党員に限定されていた。周恩来は、社会主義化に賛同的でない役人や党員に対して、中央当局の政策や運営に対する意見や批判を呼び掛けた。しかし、周恩来による努力もむなしく、発言する役人も党員も一向に現れず、計画は頓挫した。1956年4月の中国共産党中央政治局の会合にて、周恩来は「より大きなキャンペーン」の必要性を強調し、対象者を役人や党員に限定せず、全国の知識人に拡大する意向を表明した。そして毛沢東もこのアイディアを気に入り、賛同の意を表した。
1956年5月2日、実質的に周恩来に代わってキャンペーンの指導者の地位を得た毛沢東は、最高国務会議で全国の知識人に向けて「共産党への批判を歓迎する」と宣言し、「百花斉放・百家争鳴」のスローガンを提唱した。これが運動の正式な始まりである。このときの毛沢東にどのような狙いがあったのかを推し量ることは難しいが、おそらく毛沢東はこのキャンペーンを、社会主義イデオロギーを普及させるチャンスと見なした、というのが一つの見方である。のちの1957年2月に行われた『人民内部の矛盾を正しく処理する問題について』と題された演説にて、毛沢東は「我々の社会は後退できない、あるのは進歩のみ。当局に対する批判は政府をさらに良い方向へ推し進めている。」と語っている。このことが示唆する毛沢東の狙いは、全国の知識人たちによる活発な議論の末、資本主義に対する社会主義の優位性が自明のものとして人民に認識され、その必然的帰結として、完全な社会主義体制へ向けた改革が促進される、というものである。ちなみに「百花斉放・百家争鳴」というスローガンは、春秋戦国時代の諸子百家を示している。儒家、道家、墨家、名家、法家などの諸学派が、イデオロギーや思想を巡る論争を繰り広げ、歴史的には儒教と道教が強い影響力を掌握することになった。毛沢東はこの歴史にちなみ、社会主義イデオロギーの「勝利」を「百花斉放・百家争鳴」というスローガンに託したのかもしれない。
一方で、「百花斉放・百家争鳴」は最初から「反共産党勢力」を炙り出すための罠だったのではないか、という説もある。ユン・チアン(中国出身でイギリス在住の作家)などは、「百花斉放・百家争鳴」は最初から毛沢東による「おとり作戦」だったと断定しているが、このような見方を完全に否定することは難しい。
このような状況の中、1956年9月に、中国共産党第8回全国代表大会が11年ぶりに開催された。この代表大会について特筆すべきは、中国共産党の党規約の、党員の義務規定が改定されたという事実だろう。従来は「マルクス・レーニン主義と毛沢東思想を基礎として」とあった規定が、「マルクス・レーニン主義を学習するよう努力し」と改められ、「毛沢東思想」の部分が削除された。この改定には、スターリン批判の流れを受け、毛沢東の個人崇拝を薄める狙いがあったと思われる。
翌月、中国共産党第8回代表大会終了直後、ハンガリーのブダペストで、ソ連の権威と支配に反対する大規模な民衆蜂起が発生した。いわゆるハンガリー動乱である。ブダペスト市民はハンガリーからのソ連軍徹底や、ハンガリーのワルシャワ条約からの脱退を求めたが、この動きに対してソ連は、官軍を投入して蜂起を直ちに武力鎮圧し、当時のハンガリーの首相を追放して新ソ連派の新政権を樹立させた。この動乱で数千人の市民が殺害され、およそ20万人が国外逃亡して難民となっている。
スターリン批判の影響を受け、民衆が強権的な政治運営を否定することによって起きたこのハンガリー動乱は、「自由な批判を歓迎する」ことの危険性を毛沢東に印象付けたのではないだろうか。それでも毛沢東はこの時期も、(少なくとも表面上は)「百花斉放・百家争鳴」のスローガンに基づいて活発な議論を奨励し続けた。
しかし1957年に入っても「百花斉放・百家争鳴」の呼び掛けに知識人たちはあまり応じず、運動は盛り上がらなかった。保守的な意見は数多く中央当局に届いていたが、批判的な意見はほとんど一切出なかった。過去にも「整風運動」や「反革命鎮圧運動」によって中国共産党内の「異端派」が排除されていたり、「三反五反運動」によって全国の資本階級が、「ブルジョワジーであること」だけで厳しい審問を受けさせられ、中には拷問に処せられる者もいて、中国の知識人たちもその事実を知っていた。「自由な議論」に応じても本当にお咎めがないのか、と多くの知識人が疑心暗鬼になっていたのだと思われる。
一向に盛り上がらない運動を盛り上げるため、毛沢東は民主党派や各層の知識人を集め、1957年2月(先述した)『人民内部の矛盾を正しく処理する問題について』と題された演説を行った。この演説の中で毛沢東は、「破壊的な批判」ではなく「建設的な批判」を奨励し、各民主党派と共産党との間の自由な討論の必要性を説いた。さらに1957年4月、中央当局は学校、科学研究機関、文化芸術機関などの党組織において座談会や討論会を開催し、広く大衆の意見を聞こう、という運動を展開した。ここにきてようやく、意見を出すことに慎重だった知識人たちは、自由に意見や批判を出すようになった。1957年5月から7月にかけて、何百万通もの手紙が中央当局に雪崩れ込み、また中国共産党の強権的な政治運営を批判するデモが北京大学の学生などによって行われた。「百花斉放・百家争鳴」は盛り上がりを見せ、中国共産党に対する批判が相次いだ。
しかし、これに対し毛沢東は、これらの意見は「建設的」なレベルをすでに超越しており、「破壊的」なレベルに達していると断定した。それもその通りで、「この国では知識人は拷問を強いられている」という意見や、「中国共産党が支配する限りこの国には自由がない」といった意見まで、極めつけには中国共産党の退陣を求める声までが噴出していた。これら「度の過ぎた」批判に対し、中国共産党は方針を急転換させ、「力を組織化して右派分子の侵攻に対して反撃する準備をせよ」との指示を出し、「右派」に対する批判を呼びかけた。かくして「反右派闘争」が開始した。「百花斉放・百家争鳴」に応じて批判を行った知識人は「右派」のレッテルを貼られ、徹底的に排除された。1958年の時点で550万人あまりの「右派分子」が辺境へ追放されたり、失職したり、あるいは公判の手続きなしに拷問、処刑される者までいた。
この「百花斉放・百家争鳴」から「反右派闘争」への急転換について、ハンガリー動乱のような事態になる前に民衆の間で鬱積していた不満を解消するために始めたものの、想定以上に過激な批判が噴出したため仕方なく弾圧の方向に転換したのか、あるいは最初から「反共産党勢力」を炙り出すための罠だったのかは、今となっては断定するだけの材料はない。しかし、この出来事が、それ以降の中国の知識人層に深い傷を負わせたことは確かだろう。自由な発言を呼びかけられ、素直に応じたところ排除されたことで、それ以後中国では「中国共産党を批判すると痛い目に遭う」という風潮が定着したのである。その後、3000万人以上の死者(餓死者除く)を出すことになる文化大革命を経て、1980年代まで、中国において政策や政治運営についての自由な論議は公になさられることはなかった。
1980年代に入ると、鄧小平による改革開放路線が始まり、中国共産党自身が「反右派闘争」は方向性こそ正しかったものの、範囲を拡大し過ぎたことにより不幸な結果をもたらしたと率直に認め、知識人層のトラウマはある程度解消されたかのように思われた。1986年には、当時中国共産党中央委員会総書記であった胡耀邦が「百花斉放・百家争鳴」を再提唱し、「第二次百花斉放・百家争鳴」を実現しようとしたが、鄧小平を中心とする長老グループに妨害され、頓挫した。1989年、抗議者からの異議に寛大だった胡耀邦が心筋梗塞で倒れ、死去したのをきっかけに、民主化を求める学生や一般市民のデモ隊が天安門広場に結集したが、中国人民解放軍による無差別発砲や、装甲車での轢殺によってデモは武力鎮圧された。「百花斉放・百家争鳴」以来の、知識人たちの淡い期待は「第二次天安門事件」で重ねて裏切られたのである。以後、中国で自由な言論が許されたことはない。
2010年には、人権活動や民主化活動に参加し、中国当局に繰り返し投獄されてきた劉暁波がノーベル平和賞を受賞したことにより、情勢は大きく変わりつつあるように思う。「百花斉放・百家争鳴」と「反右派闘争」以来繰り返されてきた知識人の言論弾圧の歴史に終止符は打たれるのであろうか。今後の展開にも注目していきたい。

2011年1月22日土曜日

【書評】 理性の濫用と衰退についての研究 (F.A. ハイエク)

原題:Studies on the Abuse and Decline of Reason (2010)

本書は、『科学による反革命』(The Counter-Revolution of Science)の全文と、『個人主義と経済秩序』(Indivisualism and Economic Order)の導入部分を飾った「真の個人主義と偽りの個人主義」(Indivisualism: True and False)によって構成されている。ブルース・コルドウェル氏の編集によるハイエク全集シリーズの最新巻として昨年発売された。

コルドウェル氏の序文を除いては、上述した二冊の書籍にて日本語で全文を読むことができる。

本書のメインテーマは、自然科学の方法論を社会の研究に盲目的に適用する「科学主義」思想の分析である。ハイエクは、自然科学と社会学の根本的な性質の違いを説明した上で、自然科学の方法論が社会学では成立し得ないことを論じる。

まずハイエクは、独自の「分類」理論によって人間の知覚と認識のメカニズムを説明している。曰く、われわれ人間は、感覚器官を用いて自然物や自然現象を知覚するとき、これらの自然物や自然現象をある心理的分類メカニズムに基づいて認識しているという。例えば、われわれが「ドアノブ」と呼ぶ物体は、その物体が果たす主観的な機能(ドアを開閉する)のみによって認識され、その光学的性質や化学的組成などは意味を成さない。われわれは経験によってドアノブの「意味」を学習し、およそドアに備え付けられている突起物あるいはハンドル的な物体を「ドアを開閉するためのもの(=ドアノブ)」として分類するのである。

若い頃は心理学者を志していたハイエクは、この分類メカニズムをニューロンの働きによって説明する仮説を提示している。つまり、ニューロンの結合パターンが一定の感覚の「分類」に対応していて、神経がある刺激を受けると、一定のパターンが脳内で形成され、その後同様の刺激を受けると、同様の感覚として分類されるというモデルである。こうしたハイエクの心理学研究の成果は、『感覚秩序』(Sensory Order)においてまとめられている。ちなみにこの著作は、発表当時こそ心理学界から徹底的に無視されたものの、最近になって、新しい認知科学モデルの先駆として再評価され始めている。特に、「ニューラル・ダーウィニズム」仮説を提唱した脳科学者ジェラルド・エーデルマンは、その仮説の先駆はハイエクだと評している。エーデルマンの理論は、ニューロンのグループと特定の認識パターンが対応し、同じ刺激が繰り返されることでそのニューロンを繋ぐシナプスの結合が強化され、刺激のなくなったシナプスは切れるという淘汰原理によって「カテゴリー」が形成されるというもので、ハイエクの「分類」理論とほぼ同じである。このような理論を、コンピュータも脳科学もなかった時代に、ハイエクが「深い思考」だけで創造したという事実は、驚くべきことであろう。

さてハイエクによると、自然科学の方法は、上述したような人間の主観的な「意味」を徹底的に取り除き、物質や諸力が持つ客観的な性質や相互関係のみを調べることにより、一般的・普遍的な「事実」を明らかにする、というものである。一見全く無関係に見える二つの現象が実は同じ法則に基づいて振舞っていたり、逆に全く同じように振舞っているように見える二つの現象が実は全く無関係であることを、自然科学は往々にして示してくれるのである。

一方で社会学はどうか。ハイエクはまず大前提として、「社会全体」などといった客観的な集合的実体の存在を否定する。社会を構成するのはあくまで「個人」であり、諸個人の間主観的な行動の結果として抽象的な「社会全体」なるものが構成されるが、この集合的実体は「言葉」としては存在しうるものの、その実体はあくまで諸個人の主観の中で再生産される観念(=意味世界)に過ぎない。例えば、私たちが「資本主義」と言うとき、私たちはそれぞれ独自の「資本主義」を頭の中で思い描くが、「資本主義」という本質がどこかに厳然として存在するわけでは決してない。したがって、社会の諸現象を説明するに当たって、「階級の闘争が永続化する」や「資本は~を欲する」といった、集合的概念をあたかも所与のものであるかのように扱い、しかもそれらにしばしば擬人的な性質を付与する神人同形同性的 (anthropomorphic)な議論は、主観的な構成物を客観的な事実として取り違えるという誤謬を犯している、とハイエクは指摘する。

さらに、ハイエクによると自然科学と社会学では「最初に見えているもの」が違う。自然科学では、結果としての現象全体がまず観察可能であり、それを構成する見えない粒子や諸力を突き詰めていく。一方で社会学では、「個人」がまず観察可能であり、諸個人が結果として構成する見えない社会全体を突き詰めていくべきである、とハイエクは論じる。つまり、見えていない抽象的な集合的概念から出発するような研究は、作業の方向を見誤った試みであり、自然科学の方法論を無批判的・盲目的に適用しようとする「科学主義」的態度の表れである、というのである。自然科学はその精密さによって数々の華々しい成果を収めてきたのだから、社会の研究にも「自然科学っぽい」方法を導入すれば、社会学もより精密な学問になるだろう、という短絡的な思い込みをハイエクは厳しく批判する。

ハイエクはこのような「科学主義」思想の源流を、アンリ・ド・サン=シモンとその弟子オーギュスト・コントの実証主義哲学に求めている。本書の後半では、サン・シモンとコントの生涯を追いながら、如何にして彼らの哲学が受け継がれ、ヨーロッパ中に広がるに至ったかが描かれている。コントの実証主義を継承したことで有名なエミール・デュルケームは言わずもがな、一般的には実証主義からは縁遠いと思われているヘーゲルにも、ハイエクは実証主義哲学のエッセンスを見出している。ハイエクは彼らを、人間の合理性と理性を過大評価する「誤った合理主義」を広く流布させた大罪人として糾弾している。

ハイエクの「反理性主義」「反設計主義」思想を一からきちんと理解したい人にとって、本書は必読である。