2011年10月28日金曜日

設計主義のなにが問題なのか? : ハイエクの知識論

以下の文章は、仲正昌樹『いまこそハイエクに学べ: 〈戦略〉としての思想史』の第一章「設計主義のなにが問題なのか?」(p.25-66) を題材にした読書会のレジュメである。



仲正氏はハイエクの思想史的アプローチに焦点を当てて彼の設計主義批判を素描している。仲正氏の整理は要領を得ていて非常に分かりやすいと思うが、(本人も序章で予め断っている通り)、ハイエクの「知識」に関する議論や科学哲学的な議論が省かれているので、ハイエクの設計主義批判がある種の独断論ないし極論に聞こえてしまう箇所もあったように思う。例えば、「マルクス主義や社会民主主義が集産主義的な傾向を示しているのは、経済を中心とした社会的な「平等」を達成するため、生産様式や交換過程を規制しようとしているだけであって……」(p.34) 云々とあるが、これに対する仲正氏の(ハイエク側からの)反論は思想史的なものだけなので、かなり弱い。「社会主義」と「ファシズム」の結びつきは本当に必然的なのだろうか?経済の規制・計画化の何がいけないのか?結局、「平等」を優先するか「自由」を優先するかの価値判断の問題ではないのか?これらの疑問に応えるために、ハイエクの知識論を簡単に紹介してみたい。

【知識の分業体系としての市場】

ハイエクの思想体系を「市場の哲学」と呼ぶとすれば、その根幹を成すのは彼の「知識」に関する洞察である。その要旨を、大まかに三つにテーゼにまとめることができると思う。すなわち、

(1) 経済過程を可能にする知識は無数の個々人に分散して局所的・断片的に存在している。

(2) その知識の大部分は「暗黙知」(tacit knowledge)であり、言語化・分節化できない。

(3) 価格情報は、これら分散的・暗黙的な知識を集約的に表現する「指標」である。価格情報は知識の集約の結果であると同時に、新たな知識を形成する原因でもある。

さて、詳しく説明しよう。(なお、(3) に関しては紙幅の都合上割愛する)。

経済過程とは、一言で言えば「相互に異なり、場合によっては対立さえする多数の目的・計画を調和(coordinate)させる」プロセスである。当然のことながら、社会の全成員の目的が予め一致しているなんてことはあり得ない(それだったら経済現象がそもそも起こり得ない)。一方には米を需要する消費者がいて、他方には米を供給する生産者がいるからこそ、経済過程が成立する。問題は、この過程がどう行われるかである。従来の方法は、貨幣を媒介にした市場交換である。これに対して社会主義をはじめとする集産主義者は、財の「分配」を主張する。分配主義は、一見合理的に見える。中央計画当局が、すべての財に関する社会的需要を予め統計的に調査しておいて、その需要に応じて必要な分だけ生産するよう各工場に指令を出せばいい。このため、需給の過不足は生じないし、なによりプロセス全体が意識的に遂行されるので、正義に適った「平等」な分配を実現できるのだ。しかし、ハイエクは二つの点においてこの分配主義に噛み付く。

まず第一に、人々が保持している(利用可能な資源や生産にかかる時間などに関する)局所的・分散的な知識をすべて中央計画当局に集めるには、情報量があまりにも膨大過ぎる。仮に集めることができたとしても、そこから需給の最適な均衡解を導出するには、ほぼ無限大の計算速度が必要になる。市場機構による局所的・分散的な情報処理に比べて、いったん中央当局に社会全体の知識を集めて、均衡解を計算して、再び上意下達方式で指令を下すというやり方は、明らかに二度手間である。経済状況は刻一刻と変転するので、分配政策が本来の市場機構の効率性に追い付くことは到底不可能である。

そして第二の問題点はさらに深刻である。経済過程を可能にする知識のほとんどは、マイケル・ポランニーの言うところの「暗黙知」(言語化・分節化することのできない知識)として保持されているとハイエクは言う。現場の人間にしか把握できない、その場その場の暗黙的・実践的な知恵こそが、経済過程において本質的である。というのも、このような暗黙的な知識こそが、新たな知識の「発見」と密接に関わっているからだ。そしてハイエクによれば、市場競争とは新たな知識を「発見」する模索のプロセスに他ならない。どのような新商品を開発すれば売れるか、どのような製作工程を採用すれば価格を安く抑えられるか、生産者や企業家は様々な工夫を凝らし、試行錯誤のプロセスを経て品質を改良し、価格を安くし、時には画期的なイノベーションや発明を行う。これらの商品は不特定多数の匿名的消費者による選択的淘汰に晒されることによって、経済はダイナミックに生成変化する。集産主義者たちの素朴な経済観では、市場機構のこの「学習」のダイナミズムを捉えることができない。現場の人間のみが保持している主観的な暗黙知を、無理やり客観的なデータに変換してしまおうとする彼らは、経済過程にとって本質的な要素を知らず知らずのうちに削ぎ落としてしまうのである。分配主義による「合理的」な経済運営は、イノベーションも進化もない、極めて静態的な社会を帰結するであろう。

【無知の承認による自由の擁護】

以上のハイエクの知識論から、「自由」は如何にして帰結するのであろうか?ハイエクは、「無知の承認」という独特のやり方で自由を擁護している。一言で言えば、「自由が必要なのは、それを放棄できるほど我々は賢くないからだ」ということになる。ハイエク自身はこう述べる。

もし全知全能の人がいて、われわれの現在の願望の達成に影響するすべての要素ばかりでなく、われわれの将来の欲望と願望をも知ることができるとしたら、自由の必要はほとんどないだろう。逆に、個人の自由は将来についての予測を完全に不可能にする。したがって自由は、予測も予言もできない未知の可能性を開くために必要なのだ。……人々が知っていることはあまりにも少なく、とくにだれがもっともよく知っているかを知らないから、われわれは多くの人々の独立した行動と競争的な努力によって、望ましい未来が自発的に生まれることを信じるのだ。(『自由の条件』、p.29)

自由が必要なのは自由な状態が幸福だからではなく、どうやったら幸福になれるのか我々が知らないからだ。自由を要請するのは何らかの恣意的な価値判断ではなく、我々が直面する「理性の限界」という不可避的境遇である。この事実を弁えず、社会を合理的に設計・計画しようとする傲慢な理性主義こそが、ハイエクの批判する設計主義に他ならない。

2011年10月15日土曜日

タルドの社会理論と「法則」に関するメモ

タルドの社会理論は非常にいい感じだけど、微かに設計主義の残り香を感じてしまう。実際に読んでないのでなんとも言えないが、例えば『社会法則』ではこう述べられている。
「そのような美しい調和が起こるためには、その調和が実現される以前に、誰かによって認識されなければならない。社会的調和は、それが広大な領域を覆うようになる以前に、なんらかの脳細胞のなかで、ひとつの観念として存在することがなかったとしたら、そもそも起こりえないのである」(94項)
これは科学や芸術について言えば確かにその通りかもしれないが、社会的現象一般には当てはまらないように思う。例えば言語とか経済。そこには、ひとりの成員の脳には還元できない独自の構造性があるのだ。『モナド論と社会学』ではこうも述べられている。
「ライプニッツは〈予定調和〉というものを発明しなければならなかった。それと同じ理由から、物理主義者たちは、〈盲目的に漂う原子〉という考え方を補足するために、普遍法則や特殊公式に頼らざるを得ない。そして彼らは、それにあらゆる法則を還元し、あらゆる存在がそれに従うような、しかしそれ自体はいかなる存在にも由来しないような、一種の神秘的命令をでっちあげる。しかし、これまで誰からも発せられたことがないにもかかわらず、いたるところでつねに聞かされるそのような命令は、理解不能で意味不明の言葉と変わらない」(160項)
タルドは、デュルケームの社会実在論の系譜と、スペンサーの社会進化論の系譜の両方を退ける。その根拠となるのは、成員の行為を命令する法則の存在の否定である。確かに、タルドが述べるような種類の法則は存在しないと言えよう。しかし、成員の行為を「外側」から命令・規制する法則だけが法則ではない。複雑系やサイバネティク・システムに見られるような、要素の自律的運動それ自体が法則として顕れるケースもあり得るのだ。そして、社会的現象において見られる再帰的な構造性は、この後者の種類の法則性に他ならない。それは、成員たちの行為の必然的帰結であるにもかかわらず、どの成員の精神内心理を探っても出てこない独自のパターンや振る舞いを示す。タルドは「精神間心理学」(interpsychology)を「精神内心理学」(intra-psychology)に対置して見せたにも関わらず、この精神間心理が示す独自の法則性に気付いていなかったのではないか。同時代のほとんどの社会学者と同様、スミスが「見えざる手」によって意味したものを彼は理解していなかったのではないか。この法則性は、成員たちの振る舞いを一つ上の階層から指揮する命令者のようなものではなく、細胞の自己組織化から銀河集団の形成に至るまで、あらゆる自然現象を縦に貫く物理学の法則なのである。〈予定調和〉は存在する。神は存在するのである。上空に君臨する指揮者としてではなく、モナドの振る舞いそれ自体に内在する形で。

集合的実体としての社会概念を拒否し、伝統的なミクロ/マクロ図式を解体するタルドは、間違いなく異才の思想家であったと言えよう。しかしそんな異才の思想家でさえ、法則を「命令者」としてしか理解できなかったことは、同時代の抗い難い知的雰囲気を物語っているように思う。

ここに至れば、タルドの社会理論は――「社会」の集合的実在を否定する点でなるほどデュルケームのそれとは両立し得ないが――スペンサーの社会進化論の系譜とは両立し得るのではないかと思えてくる。ハイエクの社会理論がまさにその位置にあるように思う。 つまり、ハイエクの社会理論はタルドの社会唯名論とスペンサーの社会進化論をうまい具合に調合したものとして理解できるのではないか。もちろん、ある程度の摩擦はある。よく言われる、方法論的個人主義と文化的進化論の方法論的整合性の問題がそれである。また、管見の限りハイエクがタルドに言及している箇所はないし、その存在を知っていたのかどうかすら定かではないので、思想史的にハイエクとタルドの関係については何も言えない。