2016年6月17日金曜日

リンド数学パピルスのある奇妙な問題

私は仕事でパースの批判版著作集、Writings of Charles S. Peirce: A Chronological Editionの第9巻(近刊)の註釈を執筆しているのだが、科学史に関する1892–1893年のローウェル連続講義の中でパースが面白い話をしているので、それを紹介したい。

古代エジプトの数学文書に「リンド数学パピルス」(Rhind Mathematical Papyrus; 以下RMP)というのがある。紀元前1650年頃にアーメスという書記官が筆写したパピルスだが、冒頭の記述によると、第12王朝のアメンエムハト2世の時代に遡る、今は失われてしまったより古いテクストを書き写したものらしい。現代のエジプト学ではアメンエムハト2世の治世は紀元前19世紀中頃とされているから、RMPのオリジナルもその頃に成立したことになる。

RMPは87問の問題とそれらに対する解答によって構成されている。その中でとりわけ異彩を放つのが第79問である。ただ「第79問」といっても問題がはっきりと述べられているわけではなく、以下のような二つの表が与えられているだけである[註釈1]

公式に従った場合の和:2801に7をかける

1         2801
2         5602
4         11204
計     19607

足していった場合の和

家        7
猫        49
鼠        343
スペルト小麦  2401
ヘカト      16807
計        19607

二つ目の表では7の倍数が5つ列挙され、その和が示されている。現代の用語で言えば公比が7の幾何級数の和の、項数が5の場合を求めているのだ。こう考えれば一つ目の表の意味も分かる。幾何級数の和は、初項をa、公比をr、項数をnとすればa(rn - 1)/(r - 1)だから、a = 7、r = 7、n = 5のとき、和は7(75 - 1)/(7 - 1) = 7(16807 - 1)/6 = 7 * 2801となる。したがって一つ目の表は、幾何級数の和の公式を使って和を計算していることが分かる。紀元前19世紀に幾何級数の和の公式が知られていたというのは驚くべき事実だが、気になるのは二つ目の表の数字の横にある「家」、「猫」、「鼠」といった言葉である。RMPを初めて出版したドイツのエジプト学者August Eisenlohrは、パピルスの筆者が意図していたのは次のような問題なのではないかと推測している:「7つの家があり、それぞれの家に7匹の猫がおり、それぞれの猫は7匹の鼠を食べ、それぞれの鼠は7穂のスペルト小麦を食べ、それぞれのスペルト麦の穂は7ヘカトの麦を産出する[ヘカトは古代エジプトの体積の単位]。ではこれらのものの合計はいくらか」[註釈2]

幾何級数の和の問題がヨーロッパで再び登場するのは、13世紀初頭のフィボナッチ(ピサのレオナルド)のLiber Abaciまで待たねばならないが、興味深いことに、フィボナッチもRMPとほぼ同じ仕方で問題を提示しているのである[註釈3]


Septem uetule uadunt romam; quarum quelibet habet burdones 7; et in quolibet burdone sunt saculi 7; et in quolibet saculo panes 7; et quilibet panis habet cultellos 7; et quilibet cultellus habet uagines 7. Queritur summa omnium predictorum. [ローマへ向かう7人の老いた女性がいる。それぞれの女性は7匹の騾馬を連れており、それぞれの騾馬は7つの大袋を運んでおり、それぞれの大袋には7斤のパンが入っており、それぞれのパンには7本の包丁が付いており、それぞれの包丁は7本の鞘の入っている。さて、女性、騾馬、大袋、パン、包丁、鞘、これらを全部足したらいくつあるか?]
 
しかも公比7まで見事にRMPと一致している(もちろん、フィボナッチがRMPの問題を知っていたとは考えられない)。さらに、イギリスの有名な伝承童謡に「セイント・アイヴズに向かっていたところ」(As I was going to St. Ives)というのがある。この童謡は次のような「なぞなぞ」の形になっている:


As I was going to St. Ives,
I met a man with seven wives,
Each wife had seven sacks,
Each sack had seven cats,
Each cat had seven kits:
Kits, cats, sacks, and wives,
How many were there going to St. Ives?
[セイント・アイヴズに向かっていたところ、七人の妻を連れた男に出会った。それぞれの妻は七つの大袋を提げており、それぞれの大袋には七匹の猫が入っており、それぞれの猫には七匹の仔猫がいた。仔猫、猫、大袋、妻、セイント・アイヴズに向かっていたのは合わせていくつ?]

ここでもRMPやLiber Abaciと全く同じような問題が提示されている。さらに言えば、イギリスの別の童謡に「これはジャックが建てた家」(This is the House that Jack Built)というのがある。その冒頭の部分は次のようになっている:


This is the house that Jack built. This is the malt that lay in the house that Jack built. This is the rat that ate the malt that lay in the house that Jack built. This is the cat that killed the rat that ate the malt that lay in the house that Jack built. [これはジャックが建てた家。 これはジャックが建てた家にある麦芽。 これはジャックが建てた家にある麦芽を食べた鼠。 これはジャックが建てた家にある麦芽を食べた鼠を殺した猫。]

ここでは、RMPの第79問にも登場した「家」、「麦」、「鼠」、「猫」が出てくる。もちろんこれだけで確定的なことは何も言えないが、さきほどのLiber Abaciの問題にしても、「セイント・アイヴズに向かっていたところ」にしても、「これはジャックが建てた家」にしても、単なる偶然で片付けるにはあまりにも奇妙な一致ではなかろうか。


パースが提案する仮説は、アメンエムハト2世の時代の童謡ないし「なぞなぞ」が、様々に形を変えながら現代まで脈々と伝わっている、というものである。実際、「これはジャックが建てた家」は、ユダヤ人が過ぎ越し祭のセドルの最後の締め括りで歌うアラム語とヘブライ語の歌、「ハド・ガドヤー」に起源を持っているという説があるから、その原型はかなり古い可能性がある。  


 
[註釈1] 以下の日本語訳は、Arnold Buffum Chaceによる1927年の英訳、The Rhind Mathematical Papyrus: The British Museum 100057 and 100058, Vol. 1 (Oberlin, OH: Mathematical Association of America, 1927), p. 112に基づいている。

[註釈2] August Eisenlohr, Ein mathematisches handbuch der alten Aegypter (Papyrus Rhind des British Museum), Vol. 1 (Leipzig: J. C. Hinrichs, 1877), pp. 202–4.

[註釈3] Scritti di Leonardo Pisano matematico del secolo decimoterz, Vol. 1 (Roma: Tipografia delle Scienze Mathematiche e Fisiche, 1857), p. 311.